TL;DR
- 母乳栄養児の腸を優占するビフィズス菌 Bifidobacterium longum subsp. infantis のゲノムを解読した論文(Sela et al. 2008, PNAS)。
- ゲノム上に、ヒトには消化できない母乳オリゴ糖(HMO)を食べるための遺伝子群(約43キロ塩基のクラスター)がまとまって並んでいた。
- 糖を取り込む輸送体・分解する酵素が一式そろい、この菌が**母乳という餌に特化して進化した「乳児腸の専門業者」**であることをゲノムが示した。
- ビフィズス菌の比重は乳児期に最も高く、離乳や加齢とともに変わっていくとされる——一生を通じて役割が移る点が面白い。
- 注:本記事は研究知見の紹介であり、授乳方法や栄養の優劣を論じたり推奨したりするものではない。授乳・栄養の判断は専門家へ。
畑には「その作物専門の微生物」がいる。マメ科の根に住み着く根粒菌は、宿主が出す特定の糖や合図に反応して住み着き、ほかの場所では生きにくい。餌と環境がぴたりと合った菌だけが、その場所を占める。乳児の腸内に多いビフィズス菌も、これとよく似た「専門業者」だ——そのことを、ゲノムを読むことで突き止めたのがこの論文である。
乳児の腸を占める菌のゲノムを読む
母乳で育つ乳児の腸内細菌叢は、ビフィズス菌が大きな割合を占めることが古くから知られてきた。なぜこの菌が選ばれるのか。Sela らの研究チーム(Sela DA, Chapman J, Adeuya A ら、2008年、Proceedings of the National Academy of Sciences)は、その代表格である Bifidobacterium longum subsp. infantis(以下 B. infantis)の全ゲノムを解読し、答えを菌の設計図そのものから探した。
ゲノムは生き物の「能力カタログ」だ。どんな酵素を作れ、何を食べ、どんな環境に適応してきたか——それが遺伝子の並びに刻まれている。B. infantis のゲノムを読めば、なぜこの菌が乳児の腸という特殊な環境で優勢になれるのかが見えてくる。
母乳オリゴ糖を食べる専用装置
論文が報告した中心的な発見は、**約43キロ塩基にわたる遺伝子のかたまり(クラスター)だった。そこには、母乳に豊富な母乳オリゴ糖(HMO; ヒトミルクオリゴ糖)**を利用するための遺伝子が集中していた。
HMO はヒト自身の消化酵素では分解できない糖で、乳児にとって直接の栄養にはならない。その代わり、特定の腸内細菌の餌(プレバイオティクス)として働く。B. infantis のゲノムには、この HMO を扱うための道具が一式そろっていた——糖を細胞内へ運び込む**輸送体(ABCトランスポーターなど)と、運び込んだ糖を切り分ける多様な糖分解酵素(グリコシダーゼ)**である。
つまりこの菌は、ヒトが消化できない糖を「自分専用の餌」として確保し、専用の取り込み口と分解工場を備えていた。母乳という餌に合わせて、ゲノムごと特化した姿がそこにあった。
「丸ごと取り込む」という戦略
論文が描いた B. infantis の食べ方には特徴がある。多くの細菌は、糖を細胞の外で分解してから取り込むが、この菌は HMO を比較的そのまま細胞内に取り込んでから内部で分解する戦略を持つことが、輸送体と酵素の遺伝子配置から示唆された。
これは生態学的に賢い。外で分解すれば、せっかく切り出した糖を周りのほかの菌に横取りされてしまう。内側に引き込んでから分解すれば、餌を独り占めできる。餌をめぐる競争の激しい腸内で、B. infantis が乳児期に優勢になりやすい一因と考えられている。なお、定着には分娩様式や食事、個人差など多くの要因が関わり、ゲノムだけで決まるわけではない。
一生を通じて移り変わる役割
ビフィズス菌は乳児期に最も比重が高く、離乳や加齢とともにその割合が変わっていくことが、その後の多くの研究で報告されてきた。HMO という特殊な餌に依存する B. infantis にとって、母乳がなくなる時期は大きな環境変化だ。離乳後は、食物繊維など別の餌を使える菌が増えていく。
成人ではビフィズス菌は腸内細菌叢の一部を占める存在となり、食物繊維や発酵食品といった食事との関わりが研究の対象になっている。一つの菌の「一生」というより、人の一生を通じて腸内でのビフィズス菌の役割の比重が移り変わっていく——この論文は、その出発点である乳児期に、菌がいかに環境に特化しているかをゲノムから明らかにした。
土壌のアナロジー
土の世界にも「基質特異的な専門業者」がいる。たとえば、特定の植物の枯死体に含まれる難分解性の成分を分解できる菌は限られ、その餌があるところにその菌が集まる。餌の種類が、どの微生物がそこを占めるかを決める。
母乳オリゴ糖は、乳児の腸という畑に最初にまかれる「特定の作物専用の肥料」のようなものだ。その肥料を分解できる遺伝子を持つ B. infantis だけが、効率よくそれを使えて優勢になる。やがて母乳という肥料がなくなり、食事という別の有機物が入ってくれば、土の生態系の主役が交代するように、腸内でも使える餌に応じて優勢な菌が移っていく。
土を耕すとき、「どんな有機物を入れるか」で育つ微生物が変わる。腸も同じで、餌(基質)が住人を選ぶ。この論文は、その原理が人生の最初の段階でいかに精密に働いているかを、一つの菌のゲノムを通して見せてくれる。
出典
- Sela DA, Chapman J, Adeuya A, Kim JH, Chen F, Whitehead TR, Lapidus A, Rokhsar DS, Lebrilla CB, German JB, Price NP, Richardson PM, Mills DA. “The genome sequence of Bifidobacterium longum subsp. infantis reveals adaptations for milk utilization within the infant microbiome.” Proceedings of the National Academy of Sciences USA. 2008;105(48):18964–18969. PMID: 19033196. DOI: 10.1073/pnas.0809584105
本記事は学術論文の内容を一般向けに解説したもので、特定の食品・授乳方法・製品の効果を保証したり、医学的助言を行うものではありません。乳児の栄養・授乳・健康に関する判断は、小児科医・助産師など専門家にご相談ください。
よくある質問
- なぜビフィズス菌は乳児の腸に多いのですか?
- この論文によれば、母乳栄養児に多いBifidobacterium longum subsp. infantisのゲノムには、母乳オリゴ糖(HMO)を取り込み分解するための遺伝子群がまとまって備わっています。HMOはヒト自身は消化できない糖で、いわばこの菌だけが食べられる『専用の餌』です。母乳という餌に合わせて進化した結果、乳児の腸という環境でこの菌が優勢になりやすいと考えられています。ただし定着には分娩様式や個人差など多くの要因が関わります。
- 母乳オリゴ糖(HMO)とは何ですか?
- HMO(ヒトミルクオリゴ糖)は母乳に多く含まれる難消化性の糖で、乳児自身の消化酵素ではほとんど分解できません。栄養としてではなく、特定の腸内細菌、とりわけビフィズス菌の餌(プレバイオティクス)として働くと考えられています。この論文は、B. infantisがHMOを丸ごと細胞内に取り込んでから分解する独自の仕組みを持つことを、ゲノム上の遺伝子配置から示しました。本記事は研究の紹介で、授乳方法を指示するものではありません。
- 大人の腸にもビフィズス菌はいますか?
- はい、いますが、一般に乳児期に最も多く、離乳や加齢とともに割合は減っていく傾向が報告されています。乳児腸に特化したB. infantisはHMOという特殊な餌に依存するため、母乳がなくなる時期以降は別の餌(食物繊維など)を使える菌が増えていきます。成人ではビフィズス菌は腸内細菌の一部を占める存在で、食物繊維や発酵食品などの食事との関わりが研究されています。年齢で役割の比重が変わる点が興味深いところです。