TL;DR
- 海洋細菌がもつ「海藻多糖ポルフィラン」の分解酵素(ポルフィラナーゼ PorA/PorB)が発見された。
- この酵素の遺伝子が、日本人由来の腸内細菌 Bacteroides plebeius に見つかった。
- 北米人の腸内メタゲノムには同じ遺伝子が見られなかった。
- 由来は、海苔に付着した海洋細菌からの「水平遺伝子伝播」と推定される。
- 何を食べるかが、腸内細菌のもつ遺伝子の道具箱を書き換えうることを示す象徴的な研究。
海苔という、日本人だけが大量に食べてきた食材
寿司やおにぎりに欠かせない海苔。原料はアマノリ属(Porphyra)の紅藻だ。日本では海藻が一人あたり一日およそ14グラム食べられているとされ、世界的に見て突出して多い。この食習慣が、思いがけない場所——腸の中の細菌の遺伝子——に痕跡を残していた。
2010年、Jan-Hendrik Hehemann らが Nature に発表した研究は、海藻に含まれる特殊な多糖を分解する酵素が、海の細菌から日本人の腸内細菌へと「乗り移っていた」ことを示した。食と微生物の関係を考えるうえで、いまも繰り返し引用される画期的な報告である。
ポルフィランという、陸の食物繊維にはない多糖
植物の細胞壁を作るセルロースや、根菜のイヌリンといった陸由来の食物繊維は、ヒトの腸内細菌が長く付き合ってきた相手だ。だが海藻には、陸の植物には存在しない独自の多糖がある。その一つがアマノリ属に多く含まれるポルフィランだ。
ポルフィランは硫酸基を持つ特殊な構造をしており、これを分解するには専用の酵素が要る。陸の食物繊維を分解する道具では歯が立たない。研究チームはまず、海洋細菌 Zobellia galactanivorans からこのポルフィランを切る新しい酵素を見つけ、**ポルフィラナーゼ(PorA・PorB)**と名づけた。海藻多糖を専門に扱う、いわば「海専用の工具」である。
その「海専用の工具」が、日本人の腸内細菌にあった
ここからが本題だ。研究チームがこの酵素遺伝子の配列を手がかりにデータベースを探索したところ、同じタイプの遺伝子が腸内細菌 Bacteroides plebeius に存在していた。しかもそれは、日本人由来の腸内細菌のゲノム・メタゲノムに見つかり、北米人のデータには見られなかったという。
つまり、海の中でしか役に立たないはずの「海藻分解酵素」が、海藻をよく食べる集団の腸の中の細菌に備わっていた。陸の腸内細菌が、海の道具を手にしていたのだ。
どうやって海の遺伝子が腸に届いたのか——水平遺伝子伝播
細菌は、親から子へ遺伝子を縦に渡すだけでなく、別種の細菌どうしで遺伝子を横にやり取りできる。これを**水平遺伝子伝播(horizontal gene transfer)**という。
研究チームの解釈はこうだ。かつて(加熱殺菌が一般的でなかった時代を含め)、海苔の表面には海洋細菌が付着していた。それを食べることで、海洋細菌が腸内に持ち込まれ、近縁の腸内細菌 Bacteroides plebeius へポルフィラナーゼ遺伝子が受け渡された——。食べ物に乗ってきた微生物が、腸の常在菌に新しい工具を手渡した、というシナリオである。
注意したいのは、これは「日本人だけが海苔を消化できる」という話ではない点だ。海苔自体は誰が食べても栄養になる。この研究が示したのは、ポルフィランという特定多糖を効率よく分解する酵素遺伝子の分布が、食習慣と相関していたという、集団レベルの傾向である。
土壌のアナロジー
土の中でも、まったく同じことが起きている。土壌微生物は水平遺伝子伝播の達人で、ある菌が獲得した「新しい分解酵素」や「ある物質への耐性」の遺伝子が、種を越えて土壌コミュニティ全体に広がっていく。落ち葉が多い森の土には落ち葉を分解する遺伝子が、特定の作物を育て続けた畑の土にはその根の分泌物を使う遺伝子が——というように、その土地に「投入される有機物」に応じて、微生物群集の遺伝子の道具箱がチューニングされていく。
腸も同じだ。海苔をよく食べる集団の腸内細菌が海藻分解の工具を持つように、その人が日々何を入れるかで、微生物が持つ遺伝子のセットが少しずつ書き換わっていく。土に何を鋤き込むかが土の機能を決めるように、腸に何を入れるかが腸内細菌の機能を決める。「Soil = Gut」というブランドの軸が、遺伝子のレベルで裏づけられた一例といえる。
この研究を日常にどう活かすか
この一本の論文から「海苔で健康になる」と飛躍するのは禁物だ。研究が示したのは遺伝子の由来と分布であって、海苔の摂取が病気を治す・予防すると証明したわけではない。あくまで関連を示す段階にある。
そのうえで現実的に言えることは、海藻は食物繊維やミネラルを含む食品群の一つとして、陸の野菜や根菜とは異なる多糖を腸に届けてくれるということだ。腸内細菌の多様性は、入ってくる「エサ(基質)」の多様性に支えられる。陸の食物繊維だけでなく海の多糖も食卓に混ぜることは、微生物の道具箱を多様に保つという観点から理にかなっている。特定の効果を狙うより、多様性を耕す一手として海藻を取り入れる——それがこの研究から引き出せる穏当な示唆である。
出典
- Hehemann JH, Correc G, Barbeyron T, Helbert W, Czjzek M, Michel G. Transfer of carbohydrate-active enzymes from marine bacteria to Japanese gut microbiota. Nature. 2010;464(7290):908-912. PMID: 20376150. DOI: 10.1038/nature08937
よくある質問
- 日本人だけが海苔を消化できるという意味ですか?
- いいえ。海苔自体は誰でも食べられ、栄養も得られます。この研究が示したのは、海藻特有の多糖ポルフィランを分解する専用酵素の遺伝子が、調べた日本人由来の腸内細菌に見つかり、北米人のデータには見られなかったという点です。集団間の傾向の話であり、個人差も大きく、現代の日本人全員が必ず持つと確定したわけではありません。
- 水平遺伝子伝播とは何ですか?
- 親から子へ縦に受け継ぐ遺伝(垂直伝播)ではなく、別種の生物の間で遺伝子が横に受け渡される現象を指します。細菌の世界では一般的で、本研究では海苔に付着した海洋細菌のもつ酵素遺伝子が、腸内のBacteroides plebeiusに取り込まれたと推定されています。食べ物に乗ってきた微生物が、腸内細菌に新しい道具を手渡したというイメージです。
- では海苔を食べれば腸内細菌が強化されますか?
- そう単純には言えません。この研究は遺伝子の由来と分布を示したもので、海苔を食べることで健康が改善すると証明したものではありません。海藻は食物繊維やミネラルを含む食品として日常的に取り入れる価値はありますが、特定の効果を期待するより、多様な植物性食品の一つとして楽しむのが現実的です。研究は関連を示す段階にあります。