💬

対談:エド・ヨン『あなたの中の、ホビット』を読む — 共生の深淵まで潜る

書評対談シリーズ

※本記事は アフィリエイト広告(PR)を含みます。

ヨンは『片利・相利・寄生の境界は流動的だ』と繰り返す。共生は美談ではなく、絶えず交渉される動的平衡。弱点は実用的処方箋の少なさ。『土と内臓』の世界観を、人間を超えた生物全般に拡張する本。

エド・ヨン『あなたの中の、ホビット — 人類を繁栄に導いた微生物(I Contain Multitudes)』。ピューリッツァー賞ジャーナリストが書いた微生物世界のランドスケープを、Loam編集(以下、)と書評家(以下、)が対話で読む。科学ジャーナリズムの最高峰がどこまで連れて行くか。

エド・ヨンの『I Contain Multitudes』、邦題は『あなたの中の、ホビット』ですね。この本の他の微生物本との違いは何でしょう?

他の腸活本と決定的に違うのは、人間中心ではないことです。イカの発光器官とビブリオ菌、サンゴと褐虫藻、アブラムシと細胞内共生細菌、カエルの皮膚とツボカビ—腸も出てくるが、全体の半分もない。共生という現象を生命全体のスケールで捉え直す本で、ヨンは科学ジャーナリストとしてこれを雑誌記事の集合ではなく一冊の交響曲として編み上げた。

なぜ、そこまで人間を外すんでしょうか。

共生の普遍性を示したいからです。腸活本はつい「私たちの健康のために微生物をどう扱うか」になる。ヨンはその一歩手前に立って、「そもそも生命は共生で動いている」と示す。イカの話を読んだ後に腸の話に戻ると、自分の腸も数ある共生界面の一つに過ぎないと分かる。これは謙虚さの教育でもあります。モントゴメリーが土と腸を繋いだなら、ヨンは生物全般を繋いだ。

本書の核心メッセージを1つ選ぶなら?

「片利・相利・寄生の境界は流動的だ」、これに尽きる。同じ微生物が、宿主の状態や環境条件によって、協力者にもなれば寄生者にもなる。ヘリコバクター・ピロリ菌が典型例で、胃がんリスクを上げる一方、食道がんや喘息リスクを下げる可能性がある。善玉菌・悪玉菌という単純な二分法を、ヨンは徹底的に解体する。この動的平衡の視点が本書の最大の貢献です。

土壌でも同じことが言えますよね。

まったく同じです。土壌の病原菌と言われる微生物も、健全な土壌生態系の中では抑制されていて発症しない。文脈が病原性を決める。モノカルチャーで生態系が崩れたときに、同じ微生物が牙を剥く。Loamが繰り返し言う「多様性こそ処方箋」は、ヨンが生命全体で示しているこの動的平衡原理の、腸と土への適用例だと位置づけられる。

文章としての質はどうですか。

英語圏の科学ノンフィクションの最高峰レベルです。ヨンは The Atlantic の記者で、後にCOVID-19報道でピューリッツァー賞を取る。取材の密度が尋常ではなく、一つの章に登場する研究者の数と、インタビューの深さが他の本と違う。文体は知的で軽妙、専門用語を使うときは必ず平易な言い換えを添える。日本語訳もかなり健闘していますが、読めるなら原著を勧めたい一冊です。

弱点はありますか?

3つあります。1つ目は実用的処方箋がほぼないこと。読み終えても明日の食事は変わらない。それは本書の瑕疵というより設計思想なので、腸活の実用書を期待すると裏切られる。2つ目は構成の散漫さ。テーマが広すぎて、章と章のつながりが緩い。交響曲というより組曲に近い読後感です。3つ目は日本の読者への馴染みの薄さ。登場する研究者と生物の多くがアメリカとヨーロッパで、日本の読者には事例が遠い。

『土と内臓』と比較するなら?

モントゴメリーは縦軸、ヨンは横軸です。モントゴメリーは土と腸という2つの界面を、歴史と生化学で縦に掘る。ヨンは生命全体の共生という横の広がりを描く。2冊を十字に重ねると、共生の地図が立体的になる。読む順は『土と内臓』が先、ヨンが後。先にヨンを読むと、モントゴメリーの土と腸への絞り込みが物足りなく感じてしまう危険がある。

Loamの世界観にとって、ヨンの本から何を輸入すべきでしょう。

**「善玉・悪玉の二分法を捨てる」**という作法です。Loamの記事でも、つい「この食材が良い」「この菌が悪い」と書きたくなる。ヨンの本を読むと、それが微生物生態系の実相から外れていると分かる。文脈と関係性が病原性を決めるという視点を、記事の根底に置き続ける。これは書き手の姿勢の問題で、読者への誠実さでもあります。土壌もそうですよね。「悪い虫」は単独では存在せず、生態系のバランスが崩れたときに悪役として浮上する。

読者への処方箋として、どう勧めますか。

腸活を自分事として始めた人が、2冊目か3冊目に読む本です。入門の1冊目は『あなたの体は9割が細菌』、実装の2冊目は『腸科学』。そして世界観を人間以外まで広げたくなったら本書。順番を間違えると消化不良になる。本書を最初に読んだ人は、腸活のモチベーションが逆に薄まることがある。基礎を固めた後の、視界を一段広げる本という位置づけが一番いい。

最後に、一言で薦めるとしたら。

共生の深淵まで潜って、自分の腸に戻ってくる本」と言います。読み終えたあと、自分が独立した個体ではなく、イカやサンゴと同じく微生物との交渉の場であると納得する。この感覚を持った上でもう一度『土と内臓』を開くと、モントゴメリーの言葉の重みが変わる。世界観を深めたい人のための本です。実用書ではない、でも世界観は最も遠くまで連れて行ってくれる。

まとめ

『I Contain Multitudes』は共生を生命全体に拡張した世界観の書。ヨンは善悪の二分法を解体し、動的平衡としての共生を描く。実用性は低いが、Loamの記事姿勢の根本に置くべき作法をくれる。『土と内臓』と十字に重ねて読む。

編集後記 — 畑から見たヨンの「善悪二分法解体」

ヨンが本書で繰り返す「善玉・悪玉の境界は流動的」は、有機農家が日々生きている世界そのものだ。私の畑には、いわゆる「害虫」とされるアブラムシも、ネキリムシも、ハダニもいる。しかし圃場全体の生態バランスが取れていれば、それらは大爆発しない。テントウムシ・寄生蜂・捕食性ダニといった天敵が同居しているからだ。ところが農薬で一度生態系をリセットすると、回復の最初に戻ってくるのは決まってアブラムシのような繁殖力の強い種で、天敵が間に合わず大発生に至る。「悪い虫」は単独では存在せず、生態系の文脈が病害性を決める——ヨンが微生物について書いていることが、害虫管理の現場で起きていることと完全に同型だ。だからLoamの記事を書くとき、私は「この菌が悪い/この食材が良い」という単純な構図を避ける。文脈を語らず善悪だけ提示するのは、農の現場では知性の放棄に等しい。

関連記事

参考文献

  • Yong, E. (2016). I Contain Multitudes: The Microbes Within Us and a Grander View of Life. Ecco / HarperCollins. ISBN-13: 978-0062368591.
  • 邦訳: エド・ヨン『あなたの中の、ホビット — 人類を繁栄に導いた微生物』安部恵子訳, 柏書房, 2017. ISBN-13: 978-4760147854.
  • Montgomery, D. R., & Biklé, A. (2016). The Hidden Half of Nature: The Microbial Roots of Life and Health. W. W. Norton. ISBN-13: 978-0393244403.
  • McFall-Ngai, M., Hadfield, M. G., Bosch, T. C. G., et al. (2013). Animals in a bacterial world, a new imperative for the life sciences. PNAS, 110(9), 3229–3236. doi:10.1073/pnas.1218525110(共生の生命科学レビュー)
  • Nyholm, S. V., & McFall-Ngai, M. J. (2004). The winnowing: Establishing the squid–vibrio symbiosis. Nature Reviews Microbiology, 2(8), 632–642. doi:10.1038/nrmicro957(イカ-ビブリオ共生の鍵研究)
  • Cover, T. L., & Blaser, M. J. (2009). Helicobacter pylori in health and disease. Gastroenterology, 136(6), 1863–1873. doi:10.1053/j.gastro.2009.01.073(ピロリ菌の二面性レビュー)

本記事は書籍の書評であり、特定の疾患の治療・予防を目的とするものではありません。

よくある質問

『I Contain Multitudes』が他の腸活本と決定的に違う点は?
他の腸活本と決定的に違うのは人間中心ではないこと。イカの発光器官とビブリオ菌、サンゴと褐虫藻、アブラムシと細胞内共生細菌、カエルの皮膚とツボカビなど、腸も出てくるが全体の半分もない。共生という現象を生命全体のスケールで捉え直す本で、ヨンは雑誌記事の集合ではなく一冊の交響曲として編み上げた。
エド・ヨンが繰り返す中心メッセージは何ですか?
『片利・相利・寄生の境界は流動的だ』に尽きる。同じ微生物が宿主の状態や環境条件によって、協力者にも寄生者にもなる。ヘリコバクター・ピロリ菌が典型で、胃がんリスクを上げる一方、食道がん・喘息リスクを下げる可能性がある。善玉菌・悪玉菌という単純な二分法を、ヨンは徹底的に解体する動的平衡の書。
『I Contain Multitudes』と『土と内臓』はどう重ねて読むべきですか?
モントゴメリーは縦軸、ヨンは横軸。前者は土と腸という2つの界面を歴史と生化学で縦に掘り、後者は生命全体の共生という横の広がりを描く。2冊を十字に重ねると共生の地図が立体的になる。読む順は『土と内臓』が先、ヨンが後で、逆だとモントゴメリーの絞り込みが物足りなく感じる危険がある。
『I Contain Multitudes』の弱点はどこにありますか?
1つ目は実用的処方箋がほぼない(読み終えても明日の食事は変わらない)、2つ目は構成の散漫さ(テーマが広すぎて章のつながりが緩く、交響曲より組曲に近い読後感)、3つ目は日本の読者への馴染みの薄さ(登場研究者と生物の多くが欧米で事例が遠い)の3点。腸活の実用書を期待すると裏切られる構造。
エド・ヨンの本はどの順番で読むのが最適ですか?
腸活を自分事として始めた人が2冊目か3冊目に読む本。入門の1冊目は『あなたの体は9割が細菌』、実装の2冊目は『腸科学』、そして世界観を人間以外まで広げたくなったら本書、という順序が推奨される。順番を間違えると消化不良になり、本書を最初に読むと腸活のモチベーションが逆に薄まることがある。

Loam トップに戻る