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乳酸を食べる菌と運動パフォーマンス

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ボストンマラソン完走者の便を解析すると、走った後にVeillonella属が増えていた。この菌は運動で血中に増えた乳酸を腸内でプロピオン酸という短鎖脂肪酸に変換する。マウスに移植すると走行持続時間が伸び、プロピオン酸を直接腸に入れるだけでも同様の効果が再現された。ただしヒトでの効果やサプリ化はまだ研究段階であり、特定の菌を入れれば速くなると断定できる段階ではない。

TL;DR

  • ボストンマラソン完走者の便を経時的に解析すると、走ったVeillonella属が増えていた。
  • この菌は、運動で血中に増えた乳酸を腸内でプロピオン酸(短鎖脂肪酸)に変換する。
  • マウスにVeillonella atypicaを移植すると、トレッドミルの走行持続時間が有意に伸びた。
  • プロピオン酸を直接腸に入れるだけでも同じ効果が再現され、代謝物が鍵だと示された。
  • ただしヒトでの効果・安全性・サプリ化はまだ研究段階で、断定はできない。

「速い人の腸には何がいる?」という問い

運動が腸内細菌に影響するという話は以前から知られていた。だが「エリート選手の腸には特別な菌がいるのか」「もしいるなら、それは原因なのか結果なのか」という問いに、まともに踏み込んだ研究は少なかった。

2019年、ハーバード大学のJonathan Scheimanらは Nature Medicine 誌で、この問いに正面から取り組んだ論文を発表した。彼らはボストンマラソンの完走ランナーらの便を、レース前後にわたって採取し、メタゲノム(誰がいるか)とメタボローム(何を作っているか)を組み合わせた「メタオミクス」解析を行った。

浮かび上がったのが、Veillonella(ベイヨネラ)属という、あまり聞き慣れない菌だった。

マラソン後に増える菌

解析の結果、Veillonella属の存在量はレース後に有意に増加していた(論文では P = 0.02 と報告)。さらに別のコホート(ウルトラマラソン選手やオリンピックレベルの漕手)でも、運動とVeillonellaの関連が観察された。

ここで重要なのは、研究者が「増えていた」という相関で止まらなかったことだ。Veillonella何を食べ、何を作っているかまで踏み込んだ。メタゲノム解析では、運動後の選手の腸内で、ある特定の代謝経路――乳酸をプロピオン酸に変換する経路――の遺伝子が豊富になっていた。

乳酸 → プロピオン酸という回路

激しい運動をすると、筋肉は酸素が追いつかないなかでエネルギーを作り、副産物として乳酸が血中に増える。乳酸は疲労や筋肉の張りと結びつけて語られがちな代謝物だ。

論文が示したのは、この血中乳酸が腸の上皮を越えて腸管の内側(管腔)へ移動するという経路だった。Veillonellaは乳酸を主要な栄養源とする菌で、運動で増えた乳酸はこの菌にとって格好の「餌」になる。そして菌はそれをプロピオン酸という短鎖脂肪酸(SCFA)に変換する。

つまり、こういう循環が描かれた。

運動 → 血中乳酸が増える → 乳酸が腸へ移る → Veillonellaが食べる → プロピオン酸ができる

代謝の「廃棄物」に見えた乳酸が、腸内細菌を介して別の有用な分子に作り替えられている、という構図だ。

マウスでの検証 ― 走行時間が伸びた

相関を超えて因果に迫るため、研究チームはマウス実験を行った。選手由来の Veillonella atypica をマウスに経口投与(ガベージ)したところ、トレッドミルでの疲労困憊までの走行持続時間が有意に延びたと報告されている。対照として乳酸を作らない別の菌を与えた群では、その効果は見られなかった。

さらに決定的だったのは、菌そのものではなく代謝物で再現を試みた実験だ。プロピオン酸を直接マウスの結腸に入れる(浣腸的に投与する)だけでも、走行持続時間の延長が再現された。これにより、「Veillonellaがいること」自体ではなく、それが作るプロピオン酸が効果の鍵である可能性が強く示唆された。

ここで射程を明示しておく。これらはあくまでマウスの実験であり、ヒトで同じ効果が得られるか、どの程度の量が必要か、安全か――といった点はこの論文だけでは結論できない。「この菌を飲めば速くなる」と読むのは早すぎる。

土壌のアナロジー

この乳酸→プロピオン酸の回路は、土の世界の「根圏での代謝バトン」を思い出させる。

植物は根から、糖や有機酸を含む滲出液(root exudates)を土壌へ漏らす。これは植物にとって一見「捨てている」資源だが、根のまわりの微生物はそれを餌として受け取り、別の有用な化合物――植物ホルモン様物質や、可給化された養分――に変換して返す。植物の「漏れ出し」が、微生物を介して植物自身の利益に変わる。

走る身体も同じだ。激しい運動で漏れ出た乳酸は、それ単体では疲労の副産物にしか見えない。だが腸という「根圏」に移ると、Veillonellaという常在菌がそれを拾い、プロピオン酸へと作り替える。宿主の老廃物を、微生物が宿主の燃料へ変換するバトンリレー。土でも腸でも、出口に見えた分子が入口になる回路が走っている。

土をメンテするように腸をメンテする、というLoamの軸でいえば――鍛えるべきは菌そのものを「足す」ことより、菌が働ける代謝の土壌を耕しておくことだ。

何が言えて、何が言えないか

冷静に整理する。

  • 言えること: エリート選手の腸でVeillonellaが運動後に増え、乳酸→プロピオン酸経路が豊富になっていた。マウスでは菌の移植・プロピオン酸投与で走行時間が伸びた。これは質の高いメタオミクス+動物実験の知見だ。
  • 言えないこと: ヒトでサプリ的に摂って持久力が上がる、と断定すること。用量・安全性・個人差・長期影響はいずれも未確立で、研究段階にある。

スポーツ栄養としての応用(プロバイオティクスやプロピオン酸前駆体の活用)は研究が進む領域だが、現時点での実務的な含意はむしろ素朴だ。多様な食物繊維を含む食事は、SCFAを作る菌全体の働く土壌を整える。そして運動そのものが、この回路に餌を供給する。菌を一種類だけ「足す」発想より、運動と食事で腸の生態系を耕す発想のほうが、いまの科学とは相性がよい。

出典

  • Scheiman J, et al. Meta-omics analysis of elite athletes identifies a performance-enhancing microbe that functions via lactate metabolism. Nature Medicine. 2019 Jul;25(7):1104–1109. PMID: 31235964. DOI: 10.1038/s41591-019-0485-4

よくある質問

Veillonella(ベイヨネラ)を摂れば運動が速くなりますか?
断定はできません。Scheiman 2019では、マウスにVeillonella atypicaを与えると走行持続時間が有意に伸びたと報告されていますが、これは動物実験の結果です。ヒトでサプリとして摂取した場合に同じ効果が出るかは確認されておらず、安全性や用量も含めて研究段階とされています。現時点では、多様な食物繊維を含む食事と適度なトレーニングという基本が土台です。
なぜ運動すると腸内のVeillonellaが増えるのですか?
運動で筋肉が激しく働くと血中に乳酸が増えます。論文では、この乳酸が腸の上皮を越えて腸管の内側へ移動し、乳酸を栄養源とするVeillonellaに餌を供給すると報告されています。つまり走ること自体が、この菌にとって好都合な環境を一時的に作り出すと考えられています。完走後に菌が増えていたのは、この餌の供給が反映された結果と解釈されています。
プロピオン酸とは何で、体に何をするのですか?
プロピオン酸は腸内細菌が作る短鎖脂肪酸(SCFA)の一種で、酢酸・酪酸と並ぶ代表的な代謝物です。Scheiman 2019では、Veillonellaが乳酸を変換して生じたプロピオン酸が、マウスの運動持続時間を伸ばす因子として働いた可能性が示されました。プロピオン酸を直接腸に入れただけでも走行時間が伸びたと報告されています。ただしヒトでの作用や適量はまだ十分に解明されていません。

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